多趣味な私

好奇心旺盛な人間(私)の全てを見せます

今までの振り返り(ネガティブ注意)

こんにちは。今回は趣味とかそういうの関係なしに書きたいと思ったので、書いていこうと思う。過去の経験を振り返って書いていこうと思う。是非最後まで見て欲しい。暗い話が苦手な人は見ない方がいいかもしれない。

 

幼稚園から始めた塾

今思えばこの塾に関しては無駄ではないと思っている。お金は消えるがその分、利益が得られていたと思っていた。例えば、勉強して知識を得て周りの子より賢くなることもできた。もちろん友達だってできたし『普通』の学生生活を過ごせていた。まあ、嫌な部分もあったけれど。その塾は、徒歩5分ほどで通えることができた。最初は週2だったかな。その時は比較的楽しかったのかもしれない。勉強は少し大変だったけれどその分、塾の友達と交流することもできた。でもやっぱり、いいことばかりではなかった。それは小学校高学年に上がってから気づくようになった。

 

崩れていく

小学6年生になる頃には自分が周りより浮いてるということに気づいた。と言ってもその頃に親が離婚してしまったり友達と色々あって嫌な頃が重なり、その頃から私は私自身を否定するようになった。だから、塾の先生にいじられた時はひどく落ち込んだし中学に入った頃には先生のことがなぜか怖くなり8年間やってきた塾を辞めた。その頃の私はどうかしてたというよりかは正常じゃなかったんだと思う。今でもどうすれば良かったのかわからなかったしそれでしか自分を支えることしかできなかったという結論に達した方が楽なのかもしれない。中学の頃は学校に行かなかったこともしばしばあったが無事卒業できた。ただ、同級生が行ってるような普通な高校には行けなかった。

 

通信制に進学

進学については、自分の意思なので文句を言えないが今の私から言わせてもらうと全日制に行った方が良かったのかもしれない。まあ、今の自分が前よりも正常だから言えることなのかもしれないが。私は当時、暗い性格だったため友達がいなかった。唯一話しかけてくれた子とも話そうと思ったが通学が少なかったためあまり仲良くはなれなかった。暇な時間もたくさんあったのだがその時間を勉強に費やした。なぜなら、大学に行きたかったからである。最終学歴が良かったらいいだろうと思うところもあったため私は勉強も模試も頑張った。しかし、思うように事は進まないもので私は親からの言葉に深く絶望した。

 

「大学には行かせてやれない」

 

この言葉のせいで私は深く傷ついた。ずっと、説得してきて親も納得していると勘違いしていたのか、それとも親の気まぐれなのかと考えていくうちに私は思った。私がまともだったら上手くいってたなと。

 

現在

今の私は高校3年生で進路は一時就職だったけれど調べまくった結果、通信制の大学の方が安いということで親に進学を許してもらうことができた。ただ、親は大学に進学するなら家にお金を入れて欲しいらしいので私は頑張ることを心に決めた。どっかの大人が言ってたけど頑張るのは当たり前なので目標を作って大学に入ろうと思う。私の心がまだ子供だからかは知らないがやっぱり辛いことが起きてもいいことなんてないなって思った。私は辛いことを経験しないように逃げていてどうしたらいいかわからない時もあるけどそれでも私は生きるよ。って話でした。